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長野地方裁判所 昭和63年(行ク)1号 決定

申立人 西沢千恵子 外四一名

被申立人 上田市教育委員会

主文

本件申立をいずれも却下する。

申立費用は申立人らの負担とする。

理由

第一  申立人らの本件申立の趣旨及び理由は、別紙一ないし四記載のとおりであり、これに対する被申立人の答弁及び意見は、別紙五ないし八記載のとおりである。

第二  当裁判所の判断

一  本件疎明資料並びに申立人ら及び被申立人の主張の全趣旨を総合すると、次の事実を一応認めることができる。

1  長野県上田市議会は、昭和六二年六月二三日、上田市立室賀小学校(上田市大字下室賀二八二六番地。以下「室賀小学校」という。)及び上田市立小泉小学校(上田市大字小泉二一番地の一。以下「小泉小学校」という。)を廃止し、新たに上田市立川西小学校(上田市仁古田五〇八番地。以下「川西小学校」という。)を設置し、これを昭和六三年四月一日から施行する旨の上田市立小学校設置条例の一部を改正する条例(上田市昭和六二年条例第二八号。以下「本件条例」という。)を議決し、上田市長は、同月二五日、本件条例を公布したこと

2  被申立人は、長野県教育委員会に対して、昭和六三年一月八日、室賀小学校廃止の届出書を提出(以下「本件届出」という。)し、同月二二日付けで、申立人目録(一)記載の申立人らに対しては、昭和六三年四月一日から、その各保護する別紙一中の保護者並びに児童目録(一)児童欄記載の児童(以下「既就学児童」という。)を通学させるべき学校を室賀小学校から川西小学校に変更する旨の就学指定変更処分(以下「本件就学指定変更処分」という。)を、申立人目録(二)記載の申立人らに対しては、その各保護する別紙一中の保護者並びに児童目録(二)児童欄記載の児童(以下「新入生」という。)を昭和六三年四月一日から川西小学校へ通学させるべき旨の就学指定処分(以下「本件就学指定処分」という。)をしたこと

3  川西村は、昭和三二年三月三一日に室賀村、浦里村(大字当郷を除く)及び上田市大字小泉(半過を除く)が合併して生まれた村で、昭和四八年四月一日に上田市に合併したものであるが、川西村と上田市との合併の際に締結された合併協定協議事項において「現行通学区をもってその通学区域とする。」旨約されていたもので、合併時室賀小学校、小泉小学校、川西村立浦里小学校(上田市大字浦野二三七番地)が存したものであるところ、昭和六二年度の室賀小学校の児童数は右上田市との合併時の児童数をうわまわっていたこと(ただし、ここ二、三年はわずかな減少傾向にある。)。

4  上田市議会は、昭和六一年六月の議会で、上田市立川西中学校(上田市仁古田五〇八番地。以下「川西中学校」という。)に隣接する上田市立第四中学校(上田市大字諏訪形一二〇〇番地)の過密化及び川西中学校の過疎化を防止するためとして、昭和六三年三月三一日をもって川西中学校を廃止し、川西中学校の通学地域に上田市立第四中学の通学区域の一部を加えて、上田市立第六中学校を小泉小学校の跡地に新設することを決めており、昭和六二年六月の議会で、教育効果を高めるため小規模校を解消するとして、小泉小学校(昭和六二年度一学年一学級)と室賀小学校(昭和六二年度一学年一学級)を廃止し、川西中学校の跡地に川西小学校(一学年二学級を予定)を新設することとしたが、小泉小学校及び室賀小学校の廃止並びに川西小学校新設は上田市立第六中学校建設のための国からの補助金の多寡に関連があること

5  川西小学校は室賀小学校の通学区域及び小泉小学校の通学区域の外である上田市立浦里小学校の通学区域内にあり、川西中学校の校舎に階段及び便所等の点で改良を加えたものを、川西小学校の校舎として利用するものであること

6  室賀小学校の通学区域は、上室賀、下室賀、ひばりが丘地区の三地区に別れ、この三地区はそれぞれ自治会を組織しているところ、上室賀地区の大部分の住民は、本件条例制定時室賀小学校廃止について反対していたこと

7  申立人西沢建夫、同藤井洋一及び同倉沢幸光を除く、申立人らの児童は、千曲バス株式会社が運行している定期路線バス(一日一三回往復)利用による通学が予定されており、川西小学校に就学する予定の児童のうち、路線バスにより通学することが予定されている児童は、一〇五名にのぼること

二  本件廃止処分について

市町村が法律上設置すべき小学校は、地方自治法二四四条の公の施設にあたるものであるから、その設置は、法律又はこれに基づく政令に特段の定めがない限り条例によってなされなければならず(地方自治法二四四条の二第一項)、したがって、条例によって設置された小学校の廃止も、原則として設置条例の改廃という形式を踏むべきものと解され、地方教育行政の組織及び運営に関する法律二三条一号は文言上市町村の教育委員会に学校の設置、管理及び廃止に関する事務の管理及び執行に属する権限を与えるものにすぎないと解される。

そうすると、室賀小学校の廃止処分は本件条例の制定及び公布によりすでに効力を生じており、本件届出は室賀小学校の廃止に伴う事後的な事務処理にすぎないものと認められるから、本件届出は処分性を欠くものである。

そして、被申立人は、本件条例の執行または、その手続の続行をなすものではあるが、本件申立は、これらの停止の申立ではなく、まず本件届出に処分性があるとして、本件届出の効力の停止を申し立てているものであるから、効力停止の効象とはならないものに対して効力停止を求めていることになる。

したがって、本件申立中、本件届出の効力の停止を求める部分は、不適法である。

三  本件就学指定処分について

学校教育法施行令五条に基づく就学指定処分は、保護者に対し、その保護する児童を特定の学校へ就学させるべき義務を発生させる行政処分であると解されるから、効力停止の対象となる。

しかし、行政訴訟法二五条二項に基づく効力停止の効力は、単に将来に向かって一時的に当該処分がなかったのと同じ状態を作り出すにすぎず、したがって、行政庁に対し、他の処分を命じたり、申立人らに仮の地位を定めたりするものではない。

したがって、新入生に対する就学指定処分の効力を停止しても、当該新入生にとって通うべき小学校の指定がない状態になるだけであるため、本件就学指定処分についての効力停止の申立は申立利益がないといわざるを得ず、本件申立のうち、本件就学指定処分の効力の停止を求める部分は不適法である。

四  就学指定変更処分について

1  学校教育法施行令六条に基づく就学指定変更処分は、保護者に対し、その保護する児童を特定の学校へ就学させるべき義務を発生させる行政処分であると解されるから、効力停止の対象となる。

2  そして、前記認定事実によれば、申立人らの保護する既就学児童が通学上不便を強いられ、また、かならずしも小学生にふさわしいとはいえない物的施設において教育を受けなければならない不利益を被るおそれがあるということができる。

とくに通学の点については、通学の不便を回避するため、定期路線バスの利用が予定されてはいるが、上田市が独自に小学生のためのスクールバスを運行する場合に比べ、定期路線バスが小学生の通学手段としてふさわしいものであるのか疑問であり、通学の不便がすべて解消されるとはいえず、また、一〇〇名余りの児童が定期路線バスに乗車するのであれば、定期路線バスの運行時間、集団登校などのきめ細かい対応がなされなければ、通学途中の危険発生の可能性を否定できない。

3  しかし、執行停止は回復し難い損害を避けるためになされなければならないところ、本件においては回復し難い損害を避けることはできない。

すなわち、既就学児童が通学すべき小学校を室賀小学校から川西小学校に変更する就学指定変更処分を停止した場合においては、各就学時になされた室賀小学校を通学すべき小学校とする就学指定処分の効力が存続することにはなるが、本件においては、本件条例により昭和六三年四月一日から室賀小学校は廃止されており、就学指定変更処分の効力を停止したからといって、本件条例の効力が停止されることにはならず、したがって就学指定変更処分を停止しても、本件条例が不存在あるいは無効であれば格別、既就学児童においても通学すべき小学校が存在しないこととなる。

そして、前記認定事実によれば、上田市議会がその裁量権を逸脱し、本件条例が違法である疑いがないわけではないものの、本件条例が不存在あるいは無効であるとまでいうことはできない。

したがって、本件就学指定変更処分の効力を停止しても、既就学児童において通学すべき小学校が存在しない状態となってしまうため、本件就学指定変更処分の効力の停止によっては、回復し難い損害を避けることはできず、結局本件就学指定変更処分の効力停止の申立は理由がないことに帰する。

五  よって、その余の点につき判断するまでもなく、申立人らの本件申立は、いずれも理由がないのでこれを却下し、申立費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 山崎健二 辻次郎 原道子)

別紙一 (申立人目録(一)(二)・保護者並びに児童目録(一)、(二)省略)

申立の趣旨

一、被申立人がなした上田市立室賀小学校(所在地上田市大字下室賀二八二六番地)廃止処分並びに昭和六三年一月二二日付で申立人らに対してなした同申立人らの被保護者である別紙「保護者並び児童目録」一覧表記載の各児童の昭和六三年四月一日以降就学すべき小学校を、上田市立川西小学校(所在地上田市大字仁古田五〇八番地)と指定した各処分の効力を本案判決確定に至るまでいずれも停止する。

二、申立費用は被申立人の負担とする。

との裁判を求める。

申立の原因

一、当事者

別紙申立人目録(一)記載の申立人らの被保護者である児童(児童名欄に記載のある者)らは、現に上田市大字下室賀二八二六番地所在の上田市立室賀小学校(以下単に旧小学校という)に就学している者たちであり、別紙申立人目録(二)記載の申立人らの被保護者である児童(児童名欄に記載のある者)らは、昭和六三年四月一日就学を予定している者たちであり、本来旧小学校への就学が予定されていた者たちである。

被申立人は、上田市内において、教育行政等を行っている教育委員会である。

二、行政処分

被申立人は、昭和六三年一月二二日、申立人目録(一)記載の申立人らに対しては、その被保護者である児童らを上田市大字仁古田五〇八番地所在の上田市立川西小学校(以下単に新小学校という)に就学を変更する旨の、申立人目録(二)記載の申立人らに対しては、その被保護者である児童らを、新たに新小学校に就学させる旨の通知をなした。

右は学校教育法施行令第五条、第六条に基づく行政処分である。右就学通知は、旧小学校の廃止処分を前提としなければならないところ、被申立人は明確には右廃止処分も同公告も行っていない。しかし、被申立人は申立人らに対しては、旧小学校は、昭和六三年三月末日をもって閉鎖する旨公言し、右閉鎖を前提として教育行政を実施している。

三、そこで申立人らは、被申立人のなした前記行政処分の取消しを求める本案訴訟を提起し、現に長野地方裁判所に係属中である。

四、被申立人の行政処分は、自治体と住民の合意に反する。

申立人らの居住地は、古くは長野県小県郡川西村に属していた地域である。その後、昭和四八年に上田市に合併になり、現在の上田市の一部となったものである。

既に旧小学校の存続か廃止かについては、昭和四八年合併以前から住民の間において重要な議論の対象となっていたものであり、旧小学校の存続は地元地域住民の総意であった。

そこで上田市は、当時の川西村村長を代表者とする地域住民に対し、昭和四八年二月一二日付の文書で要旨以下の通り確認するに至った。

1、現行通学区域をもって、その通学区域とする。

2、現学校存置をはかるため、人口増加については総合的見地に立って施策を講じるものとする。

3、必要な施設整備については、年次計画をたて実施するものとする。

自治体がその行政行為に関し、主権者たる住民に対し行政行為について作為又は不作為の合意をした時には、特段の事情のない限り右合意は行政全体について一定の拘束力を有するものである。従って、行政の一部である教育行政に関し、前記合意が存在する以上、被申立人は、右合意を実施することが強制法規に反し、又は著しく社会正義に反する等特段の事情のない限り、右合意に従うべきである。

被申立人の前記各処分は、地方自治の主権者たる住民の総意に基づく合意に反したもので、地方自治の原理原則に反する違法な行政処分である。

五、児童らの生活、教育にあたえるべき悪影響

1、申立人らの居住する上室賀、下室賀の地域は、室賀地区として古くから一体となった生活共同体を構成している地域である。右地域は、南北に細長く約五三〇戸が散在している農山村地域である。旧小学校は、右地域のほぼ中心部に古くから存在し、現在の就学児童は一八七名である。

そこで地域の特性を生かして、全校登山、スケート授業やスケート大会、農地を借りて児童が農作物を育成する青空教室、わらびとり、もちつき大会等々個性ある行事を織り込みながら、地域住民の生活と一体となった豊かな学校教育が伝統的に実施されてきている。更に地域的行事としても「道祖神」、「どんど焼き」等、地域全体での活動も活発である。

旧小学校の廃止により、従前伝統的に行われてきた前記教育行事の実施は不可能となり、児童の豊かな教育的効果に重大な悪影響を与えるものとなることは明らかである。

更には、旧小学校は室賀地区内唯一の学校施設として、住民の各種集会の場としても広く利用されていたものであるところ、廃止により右利用が不可能となり、「学校もない農村地域」として若者達の居住意欲を失わせ、地域全体の過疎化現象を引き起こすこととなり、住民生活全体に重大な悪影響を及ぼすこともまた明らかである。

2、長距離通学による悪影響

申立人らの児童の通学距離は、旧小学校の廃止により、別紙通学距離一覧表の通り、従前に比して甚だしく長距離通学となる。旧小学校への通学は、徒歩通学によってなされており、そのことにより居住地域の自然との接触や自然に対する理解、旧小学校と家庭との親密感、近距離等によってもたらされている良い教育効果は重要なものである。

例えば、授業開始前の早朝スケート練習にしても、新小学校においては、早期登校が不可能となり実施できない。また、児童の急病など緊急事態の生じた時も、遠隔のため保護者らにおいて迅速適切な措置を取りえないことは明白である。

特に、新入学児童や低学年児童に与える長距離通学の肉体的、心理的負担の増大は重要なものである。

3、以上の通り、教育環境に重大な悪影響を及ぼすことが明らかな教育行政を実施するについては、少なくとも右悪影響以上に重要な教育目的が存在する等、合理的理由が存在しなければならないところ、本件廃校処分は何等の合理的理由も存在しないものであるから、その取消しを求めるものである。

六、本件行政処分は、民主的手続きの原則に反する。

1、既に、昭和五三年に小学校廃合問題が提起されて以後、長期に渡って一貫して地元住民は自治会単位で反対の意志を表明してきた。

昭和六〇年一〇月二五日には、上室賀自治会の総会が開催され、右自治会に出席した上田市教育委員会の責任者は、全出席者の前で「学校問題は大変重要な問題なので、一つの自治会でも反対ならば小学校の統合は実施しない」と約束した。

そこで上室賀自治会では、同年一一月に旧小学校の廃止に反対する住民署名を実施したところ、住民の九五%以上にあたる六五八名が署名に応じたため、右反対署名を被申立人に提出した。

2、ところが被申立人は、旧小学校廃止問題に関し、長野県教育委員会、上田市議会等の関係行政機関に対しては、前期自治会の総意による反対の実情を秘匿し、「反対者は上室賀地区の一部の住民にすぎない」と、全く虚偽の報告を行っている。

更に下室賀地区の自治会に対しては、「上室賀は自治会としては小学校統合に反対ではない」等と、これまた虚偽の情報を流して、上、下両室賀地区の分断を策してきた。

このように、住民の意志を虚偽の内容をもって関連の行政機関に報告し、その結果誤った事実認識のもとに関連行政機関の判断がなされ、最終的に被申立人が本件行政処分を実施してきたものである。

右行政手続きは、行政が利害関係人の意見を聴する上で取らなければならない、民主的手続きの原則に明らかに反するもので取り消されるべきものである。

3、更に被申立人は、本来の教育行政の必要上から旧小学校の廃校処分を決定したのではなく、上田市立第六中学校を建設する国庫補助金の給付を有効に受けるという政治目的から、旧小学校と小泉小学校の二小学校を廃校処分として、旧川西中学校校舎をそのまま新小学校にするという政治判断がなされたものである。

旧小学校の廃校処分自体は、何の合理的理由も存在せず、従って本件行政処分に最大の利害を有する申立人らに、廃校処分の必要性について具体的理由も開示できず、そのため申立人ら住民の意思が行政手続上反映させる機会も奪われたまま強行された本件行政手続きは、行政処分に際し利害関係人に告知聴聞の機会をあたえるべきだとする民主的行政手続きの根本に反すものである。

七、以上の経過であって、本案判決のなされるまでに申立人らが前記各行政処分の執行を受ける時は、児童らはその生活と教育の上に著しい悪影響を蒙ることとなり、児童の保護者である申立人らはこれにより回復困難な損害をうけることとなるので、これを避けるため緊急の必要があるから、申立の趣旨記載の通り、前記各行政処分の執行を停止するとの裁判を求める。

通学距離一覧表

一、六km以上の通学者  (従前の通学距離)

西沢千恵子 六五五〇m (二九五〇m)

西沢正   六二〇〇  (二六〇〇)

荒井徹訓  六〇五〇  (二四五〇)

荒井今朝男 六〇〇〇  (二四〇〇)

二、五km以上六km未満の通学者

荒井慶親  五九五〇  (二三五〇)

西沢政光  五九〇〇  (二三〇〇)

宮島道夫  五九〇〇  (二三〇〇)

丸山恵一  五八五〇  (二二五〇)

清水住夫  五八五〇  (二二五〇)

林修一郎  五八〇〇  (二二〇〇)

西沢卯一  五七五〇  (二〇五〇)

西沢賢二  五七〇〇  (二一〇〇)

西沢勝仁  五六〇〇  (二〇〇〇)

西沢秀信  五六〇〇  (二〇〇〇)

清水幸夫  五五〇〇  (一九〇〇)

柳沢孝一  五四〇〇  (一八〇〇)

西沢けい子 五四〇〇  (一八〇〇)

滝沢均   五四〇〇  (一八〇〇)

西沢義紘  五二五〇  (一六五〇)

内山幸夫  五二五〇  (一六五〇)

西沢洽三  五二〇〇  (一六〇〇)

三、四km以上五km未満の通学者

西沢靖夫  四七〇〇  (一一〇〇)

土屋博資  四六〇〇  (一〇〇〇)

土屋梅子  四四〇〇  (八〇〇)

白鳥隆夫  四三五〇  (七五〇)

高橋英行  四二〇〇  (六〇〇)

四、三km以上四km未満の通学者

白鳥公   三八〇〇  (二〇〇)

小山良平  三五〇〇  (四〇〇)

中村文彦  三五〇〇  (五〇〇)

五、二km以上三km未満の通学者

関一朗   二五七〇  (一二〇〇)

永井健二  二六〇〇  (二〇〇〇)

大井則夫  二四〇〇  (一五〇〇)

小河原静人 二三五〇  (一八〇〇)

飛田一久  二三五〇  (一八〇〇)

西村克典  二三五〇  (一八〇〇)

大角友保  二二〇〇  (一四〇〇)

六、二km未満の通学者

西沢建夫  一三〇〇  (二六〇〇)

藤井洋一  一三〇〇  (二六〇〇)

倉沢幸光  一三〇〇  (二六〇〇)

図〈省略〉

別紙二

一、旧小学校の廃止処分並びに新小学校への就学指定処分が、被申立人の行政処分であることは明らかである。

旧小学校の廃止処分は、条例によつてなされるものであることは明白であるが、右条例に基いて旧小学校の廃校届を行い、具体的に廃校の行政処分を実施し完結することは、教育委員会の権限によりなされるものであつて、行政処分以外の何ものでもない。

およそ、行政処分は、法令に従つて実施され完結されるものであつて、法令に基かない行政処分はあり得ないのであつて、教育委員会が上田市の条例に従つて行政処分として廃校処分を行うことはあたりまえのことである。

就学指定変更処分も当然行政処分である。

右処分により、申立人らは新小学校への就学を強制されるのである。

右執行が停止される時には、申立人らは、旧小学校へ就学すればよいのであつて、「通学すべき小学校がなくなる」などという無責任なものではない。

教育委員会は、申立人らを就学させる義務があり、申立人らは、旧小学校で充実した教育を受ける権利を有するのである。

そもそも教育委員会が旧小学校の廃止を希望して、上田市議会がその前提となる条例を制定したというのが社会的事実であつて、ことさらに上田市議会にその責任を転稼しようとするのは社会の生きた事実の経過を無視する主張である。

二、旧小学校は、各学年一学級ずつ六学級あり、一八七名もの多数の児童が学んでいる小学校である。就学児童が数十名の複式学級を形成している小学校とは全く違うのである。

一学級三〇名程度でおちこぼれ、非行のない行きとどいた教育が実施されることこそ、全国の児童に対して必要な教育条件である。

大多数の大規模小学校の教育こそ、本来の教育からかけ離れ、荒廃した教育内容となつているのであつて、その責任は教育行政にあるのである。

これに対して、司法が救済の手をさしのべ、本来の教育条件を実現させるよう努力するのは当然である。

現に、長野県内には、一学年一学級で合計六学級以下の小学校は約九〇校も存在しているのである。これら全ての小学校を廃校にして、一部のエリートを選別するような教育体制を小学校の段階から完成させようとするのが、現在の教育行政である。その結果は、一部のエリートにとつても、大多数のその他の児童にとつても不幸以外の何ものでもない。申立人らこそ、真に教育の何たるかを理解し、人間の成長の意味を理解しているすぐれた人々の集団である。

児童数が多くなればなるほど、その中には、「優秀」な人間の数も多くなるであろうことは統計学上明らかではある。その数によつて教育効果が上つたと自己満足するような教育委員会のあり方はまことに残念である。教育委員会が提出している疎乙号証の報告書の内容は、残念ながら右の誤つた成績主義を自認するものでしかない。

旧小学校の廃止の合理的理由は何も疎明されていない。

三、約二〇〇名の多数の児童が、本年四月一日から同一の小学校で、従前の学校生活の継続として、統一的な授業を受けられなくなることは、児童の心身の発達に与える影響からみて「回復困難な損害」を受けることは明白である。

旧小学校であれば、各学年の児童が同一学級で一学年上の学年として授業が継続されるのである。

これをばらばらの学級に分散して新小学校へ組み込むことを比較すれば、何が回復困難な損害かは十分に理解できるはずである。

小学校の児童が仲間を分断され、大人達の身勝手な都合によつてあちこちの小学校を転々とされるのは、いつでも回復できる損害というような生やさしいものではないのである。

旧小学校は、現在はもとより、本年四月一日以降も当面はその取壊しの予定は全く決つていない。そもそも旧小学校を他の目的のために使用しなければならない行政上の必要が全くないことは争いのない事実なのである。旧小学校を横目で見ながら遠くの新小学校まで毎日通学する児童らに、何か説得できる説明はあるのだろうか。その説明できない現実こそが「回復困難な損害」なのである。

四、行政処分が合理的理由のあることは、行政庁において立証責任のある事実である。にもかかわらず、教育委員会は、旧小学校を廃止する合理的理由を何も疎明していない。

一方で、申立人らの児童らは、遠距離通学、同一学級の解体等重大な変化を強制されるのである。

右の実情に照せば、新小学校への通学強制を一時凍結し、十分な時間をかけて小学校統合の是非について議論する機会を保証すべきである。よつて、申立の趣旨記載の通りの裁判を早急になされるよう求めるものである。

別紙三

一、教育委員会の組織並びにその職務権限については、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」に規定されている(疎甲第六三号証)。

職務権限については、右法律の第二三条の一号乃至一九号に規定されている通りである。

その一号では、「教育委員会の所管に属する学校の設置、管理及び廃止に関すること」と明文で規定しているのである。旧小学校の廃校処分は、そのものずばり、教育委員会の職務権限に属するものであり、被申立人の主張は、明文の法律に反する主張である。

なお、右法律の第三〇条では、法律(学校教育法)の定めるところにより、地方公共団体が学校を設置すると定めているが、ここでも「廃校」については規定しておらず、あくまでもその「執行」の権限は、教育委員会にあることが明白である。

次に右法律の第二三条の四号では、「学齢生徒及び学齢児童の就学、入学、転学及び退学に関すること」とこれまた明文で規定している。

従つて、就学指定、変更処分が教育委員会の職務権限に属することは、これまた明白である。従つて、旧小学校の廃止処分は、被申立人が、昭和六三年一月八日付で、学校教育法施行令第二五条に基づく届出をなすことによつて完結するのであり、右処分の取消しを求めるのである。

就学指定処分についても同様である。

就学指定処分が取消された時には、学校教育法等に基づいて被申立人は、新たに就学指定処分をなすべき義務を負うのである。

二、上田市と川西村の合併協定が法的拘束力を有するものであり、「みだりに変更してはならない」ことは、自治省の見解としても明白である。

さらに重要なことは、疎甲第一号証の協定中、現学校を存置する(室賀小学校を残すこと)ことの協定は、行政実例の解釈で指摘する「財産処分についての協議」に該当するものである。

即ち、室賀小学校は、合併前は、旧川西村の村有財産であつたものであり、その校舎並びに敷地を、旧川西村の児童の学校としてそのまま通学区を変更せず存置することを協定したのである。そのため、これまで旧小学校の教育財産は、合併前の旧川西村村民の利益のためもつぱら供与され続けていたのである。

今回の廃校処分は、旧小学校の校舎、敷地等の財産を、右協定に反して、旧川西村居住民から一方的にはく奪する処分であり、さらには、教育財産としての価値を無にする処分であつて、協定違反は明白である。

このように、合併協議に反する財産処分は、法的に無効である(このことは争いない)。

従つて、上田市議会が、旧小学校の設置を取り消す旨の条例を議決したことは、右合併協定に反するものとして、その部分は無効である。よつて無効は条例に基いて、しかも合併協定に違反して教育委員会が旧小学校の廃校処分を執行し、更に新小学校への就学指定処分を執行したこともすべて無効である。教育委員会の右行政処分自体が、「財産処分」に関する合併協定に反する無効なものなのである。

三、仮に、合併協定違反が、「財産処分」についての違反ではないとしても、本件行政処分は、合併協定を「みだりに変更する」ものであり、違法な行政処分である。

「みだりな変更」であることは、既に申立書に詳述した通りであり、申立人らは、本件行政処分により、何らの利益も受けず、一方的に不利益だけを受ける立場におかれるのである。旧小学校廃止により申立人らが受ける利益は何もない。

(1) 徒歩通学ができないことは、教育効果として重大な不利益である。バス通学の方が利益であるという理由は全くない。

(2) しかも教育委員会は「スクールバス」さえも実施する予定はない。

定期バスに毎日一〇〇名を越える児童を、高校生、中学生、一般客と一緒に乗せようというのである。

低学年児童らは、多数の乗客に押しつぶされそうな状態で毎日通学しなければならないのである。

せめて専用のスクールバスを運行する位は、常識的な措置であるのに、これを行わない教育委員会の姿勢は、子供たちの健全な成長を考えない官僚的姿勢にすぎない。

(3) 学級数の変更も申立人らの利益とはならない。

旧小学校は一学年一学級の六学級である。

新小学校は、当面一学年二学級の一二学級となる予定であるが、新二年生は、合計四三名程度であり、近い将来必ず一学年一学級に逆もどりする状況が明白なのである。

今後入学予定者で計算する限り、昭和六四年度以降は順次一学年一学級となり、七年後には、合計六学級になつてしまうのである。旧小学校と比較すれば、学級数は変らず、一学級の人数だけが多くなるという一方的不利益が発生するのである。

教育効果を減少させる教育行政を強制する真意が理解できない。

(4) 新小学校は、旧川西中学校の校舎をそのまま利用するものであり、旧小学校に比較して物的施設も劣る古い校舎である。鉄棒、ブランコ、砂場、遊具等の施設も全く設置されておらず、小学生に必要な体育設備も完備されていない。学習用の机といすは、旧小学校で使用していた古い物を新小学校に運び込んでそのまま使うのである。教育効果を向上させるような新しい物的設備は何もせず、場所だけ不便な所に通学を強制するのである。ここにも教育よりも予算の減少を考えるという誤つた教育委員会の姿が現われている。

(5) 人的条件についても新小学校は劣つている。

児童数に対比した教員数にしても、教員の職務内容においても、旧小学校以上に人員が増員されるわけでもなく、特に新しい分野の教育を開発する人員配置がなされるわけでもない。

(6) 教育内容においても、全校登山、青空教室、スケート大会等の企画が実施されなくなるものであることは、教育委員会も認めており、その他サークル活動においてもスクールバスさえない状態のもとで、その活動時間が制限され、申立人ら児童においては、その活動の場が奪われるという重大な不利益を受けるのである。

四、以上の状況にあつて、申立人らは、被申立人の違法な行政処分によつて、「回復困難な損害」を今まさに受けようとしているのである。

疎乙第六号証の判決例とは、その前提事実が大きく異るのであつて、申立人の請求を認容すべきである。即ち疎乙第六号証の場合は、旧小学校の児童数が僅か四五名の復式学級の学校であり、しかも新小学校への通学には、「スクールバス一台を購入し、熟練の町職員が運転する」等の配慮があり、新小学校の物的、人的設備が、旧小学校に比較してはるかにすぐれている場合である。

右事例に比較しても、本件の旧小学校の廃校がいかに前例のないひどいものであるか明らかである。

しかも、教育委員会はスクールバス一つ取つてみても、教育条件の整備についても無策であり、無策のまま放置し続ける方針なのである。この現状のままで、児童達を新小学校に通学させる不利益は重大なものである。

別紙四

申立人ら代理人

一 申立人らが対象とする廃校処分は、上田市教育委員会が長野県教育委員会に対して昭和六三年一月八日なした室賀小学校廃校認可申請による廃校完結処分である。

二 児童の保護者に対する就学すべき小学校の指定処分については、親権者二名の場合、その一名のみについて通知があっても、親権者両名に対する処分としての効力のあることは争わない。

別紙五

申立の趣旨に対する答弁

一、申立人らの申立をいずれも却下する。

二、申立費用は、申立人らの負担とする。

との裁判を求める。

別紙一の申立の原因に対する答弁

一、当事者に対し

本来旧小学校への就学が予定されていた者たちである、との点を否認し、その余は認める。

二、行政処分に対し

第一節記載事実は認める。

第二節記載の就学指定変更処分が行政処分であるとの点は争う。

第三節記載事実中、被申立人が、旧小学校が昭和六三年三月三一日をもつて廃止されることを前提として、教育行政を実施していることは認め、その余はいずれも否認する。

被申立人は、旧小学校等が、上田市立小学校設置条例の一部改正に基づき廃止されることに基づく諸手続を、昭和六三年一月八日付で完了しているものである。

すなわち、被申立人は、昭和六三年一月八日、長野県教育委員会に対し、旧小学校の廃止届を提出している(疎乙第一号証参照)。

三、第三項記載事実は認める。

四、第四項乃至第七項記載事実はいずれも否認する。

申立人らの右各項記載事実は、誤まり、あるいは独自の見解に基づくものであり到底容認できない。

これに対する被申立人の主張は、以下に記すとおりである。

被申立人の主張

一、申立人らは、旧小学校の廃止処分が、被申立人の権限に属すことを前提に、被申立人を被告として、本訴を提記し、また本申立に及ぶものであるが、そもそも、旧小学校の廃止処分は、条例の制定・公布のみによつて完結し、発効するものであり、被申立人は、本訴においては被告適格を欠き、従つて、本申立においても訴訟要件を欠くことは明白であるので、本申立は、不適法として却下されるべきである。

二、被申立人は、就学指定変更処分は行政処分でないと解する。

仮りに、右処分が行政処分にあたるとして、その効力を停止しても、各児童は、旧小学校が廃止するものとされているため、いずれも通学すべき小学校がなくなるという事態が発生するだけであり、申立人らのいう回復困難な損害を避けることにはならず、むしろ、かえつて、各児童の教育を受ける権利を奪うことになる。従つて、本件就学指定変更処分の効力の執行停止は不適法であつて、却下されるべきである。

三、被申立人には、実体上も手続上も非難されるべき点はなく、その行為は、全て適正かつ適法である。

申立人らの主張は、本案訴訟について、訴訟要件に欠けるだけでなく、実体的にも理由がなく、かつ、申立人らに回復困難な損害を発生させる事情もない。

万一、本件の執行停止が認容されるようなことがあれば、違法な主張が通ることになり、さらに、市議会の権能をめぐり、かつまた、市議会の議決に基づいて事後の施策を遂行している行政に収拾不能な混乱を生じさせ、市民に測り知れない影響を与える結果になる。

よつて、被申立人は、本件申立のすみやかなる却下を求めるものである。

四、尚、被申立人の措置が、適正かつ適法である所以を以下に明らかにする。

1 上田市立室賀小学校の廃校に至る経緯について

(一) 上田市立室賀小学校の沿革

上田市立室賀小学校(以下旧小学校という)の濫觴は、明治六年一一月、室賀地区にあつた上室賀村、下室賀村が、小泉地区にあつた日向小泉村、町小泉村とともに、下室賀村専念寺に設立した有新学校である。

その後、幾度かの分離、合併の変遷を経た後、明治二二年室賀村誕生とともに、室賀尋常小学校が発足し、明治二六年四月二一日、室賀地区の中心地である現在地に新校舎を建設した。

室賀尋常小学校は、昭和一六年四月に室賀国民学校、昭和二二年四月に室賀小学校と改名された。

旧小学校は、最近は、「進んで学ぶ子供」「友と力を合わせる子供」を学校教育目標として掲げ、昭和六二年度は、校長以下一〇名の教職員が一九〇名の児童の教育に当たつている(疎乙第二号証ノ二参照)。

(二) 上田市立小・中学校の統廃合、新設、通学区の変更

(1) 上田市は、核家族化、自動車の普及、店舗と住居の分離化等の現象に伴つて、昭和三〇年代半ばから徐々に人々が移動し、市街地から市街地の周辺部へ、また一方では山間部から市街地の周辺部へと人口が移動し、このため、市街地の周辺部に人口が集中する現象がおこり、小・中学校においても周辺部の学校に児童・生徒が集中するようになつた。

(2) そのため、被申立人は、市内全小・中学校を児童・生徒数の分布に応じて配置し、かつ適正な学校規模とするため、通学区域の再編をすることとした。

そこで、上田市議会は、昭和五三年四月一日、上田市立小・中学校通学区域審議会条例を制定し、学識経験者一四名、自治会代表二名、PTA代表二名、校長会代表二名、市議会議員五名の計二五名からなる上田市立小・中学校通学区域審議会(以下通学区審議会という)を設置した。

被申立人は、昭和五三年五月二九日、通学区審議会に上田市の小・中学校の通学区の変更を被申立人の原案を付して諮問した。

被申立人は、昭和五三年一二月二二日から昭和五六年三月二三日までの間に、通学区審議会から四回にわたり答申を得た。

(3) 旧小学校に関する答申は、昭和五六年三月二三日になされた。

その内容は、川西地区の小学校は、原案のとおり、旧小学校、小泉小、浦里小の三校を統合することが適当である。ただし、当面は旧小学校及び小泉小学校の統合を行い、浦里小学校については、児童数の推移、校舎改築の時期をみながら将来再び検討されたい、というものであつた。

(三) 上田市川西地区の小・中学校の新設と通学区の変更の経緯

(1) 上田市の室賀地区、小泉地区並びに浦里地区は、核家族化、出生率の低下、市街地周辺部への人口の移動等の現象に伴つて、昭和二〇年代から人口が減少し始め、室賀地区を通学区とする旧小学校、小泉地区を通学区とする小泉小学校、浦里地区を通学区とする浦里小学校とも、児童数並びに学級数が減少してきた。

(2) 被申立人は、昭和五三年五月、旧小学校、小泉小学校は、各学年とも児童数が、「公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律」が一学級の限度と定める四五人以下であるため一学級となつていること、浦里小学校は、各学年とも二学級あるものの、乳幼児数が漸次減少の傾向にあるため遠からず一学級になる学年が出てくることが予想されることから、室賀地区、小泉地区、浦里地区の児童に対する学校教育の効果をあげるため、旧小学校、小泉小学校、浦里小学校を統合して、新しく川西小学校を設置し、又、室賀地区、小泉地区、浦里地区、を通学区域とする川西中学校の将来の過疎化、川西中学校と隣接する第四中学校の過密化を防止するため、川西中学校を廃し、川西中学校の通学区域と第四中学校の通学区域の一部である上田原、倉升、神畑、築地、福田、吉田、東築地及び川辺町のうち鴨池堰用水路以西(以下川辺地区という)を通学区域とする第六中学校を新設しようと考えた。

(3) そこで、被申立人は、昭和五三年五月二九日、その旨の原案を付して、通学区審議会に通学区の変更を諮問した。

(4) 被申立人は、通学区審議会への諮問中の昭和五三年五月から昭和五六年三月までの間、しばしば、室賀地区、小泉地区、川辺地区の住民またはその代表者に会い、又、全戸に説明書を配布したりして、被申立人の川西小学校並びに第六中学校の新設にかかる原案を説明し、その理解を得ることに努めた。

(5) 又、通学区審議会は、被申立人の川西小学校並びに第六中学校の新設の原案に対する住民の意見を徴するため、昭和五三年五月から昭和五六年三月までの間、しばしば、室賀地区、小泉地区、浦里地区、川辺地区の住民またはその代表者と会うと同時に、何回か会議を開き、川西小学校並びに第六中学校については、前記(二)(3)記載のとおり、昭和五六年三月二三日、被申立人の原案どおりの答申を被申立人にした。

(6) そこで、被申立人は、昭和五六年三月二三日以後も何回となく、室賀地区、小泉地区、浦里地区、川辺地区の住民またはその代表者に会い、旧小学校、小泉小学校、浦里小学校を廃校して川西小学校を新設することの必要性並びに川西中学校の通学区と第六中学校の通学区の一部である川西地区を通学区とする第六中学校の新設の必要性を説明し、その理解を得ることに努めた。

(7) 被申立人の再三にわたる住民又はその代表者との話合いの結果、第六中学校の新設については、川辺地区は勿論のこと小泉、浦里、室賀の各地区の賛成を得ることが出来た。

(8) ところが、小泉小学校、浦里小学校、旧小学校を廃校して川西小学校を新設することについては、浦里地区並びに室賀地区の内の上室賀の人々の賛成を得ることがなかなか出来なかった。

(9) そこで、被申立人は、浦里小学校については、当時同校は一二学級を維持していたので、小泉小学校と同時に廃校することは当面見合わせ、「浦里小学校については児童数の推移、校舎改築の時期を見ながら将来再び検討されたい」という昭和五六年三月二三日付前記答申の趣旨を考慮し、「浦里小学校問題検討委員会」を設置し、引続き浦里小学校の存廃を検討することとし、とりあえず、小泉小学校と旧小学校を廃校にし、川西小学校を新設することにした。

(10) ところが、小泉小学校と旧小学校を廃校にし、川西小学校を新設することについては、小泉小学校の通学区である小泉地区並びに旧小学校の通学区である下室賀・ひばりが丘の人々は賛成しているが、上室賀の中には依然として強く反対する人々がいる。

(11) しかしながら、被申立人は、小泉小学校並びに旧小学校が各学年とも一学級となり、今後当分の間二学級となる見込みが無いことから、それに伴う教育上の支障を考慮し、小泉地区、室賀地区の児童に対し、他の小学校の児童に劣らぬ教育を施し、よって全上田市の児童に等しく十分な教育を受ける機会を与え、もって教育基本法の定める教育機会均等を実現しようとしているのである。

(12) そこで、上田市議会は、昭和六一年六月一八日、上田市立中学校設置条例の一部を改正し、川西中学校を廃止して新たに第六中学校を新設し、その校名を上田市立第六中学校と命名し、被申立人は、昭和六一年六月二〇日、上田市教育委員会規則を改正して上田市立第六中学校の通学区を川西中学校の通学区と第四中学校の通学区の一部である川辺地区と定め、昭和六三年四月一日から開校することにしている。

また、上田市議会は、昭和六二年六月二三日、上田市立小学校設置条例の一部を改正し、旧小学校、小泉小学校を廃校し、新たに小学校を新設し、その校名を上田市立川西小学校と命名し、上田市長は、同年同月二五日、右上田市立小学校設置条例の一部を改正する条例を公布した(疎乙第三・四号証参照)。

被申立人は、右公布の同日、上田市教育委員会規則を改正して、上田市立川西小学校の通学区を、室賀地区、小泉地区、と定め、昭和六三年四月一日から開校することにした。

(13) これら上田市議会の議決、被申立人の措置にあくまで反対する上室賀の室賀小学校統合反対同盟会等の人々は、その後の被申立人の再三にわたる説得に応ぜず。昭和六三年二月六日、上室賀の甲田孝氏外二名を代表者として、地方自治法第七四条第一項の規定に基づき、上田市長に対し、旧小学校の存続を求める趣旨の上田市立小学校設置条例の一部改正の請求をした。

この請求に基づき、上田市議会臨時会は、昭和六三年二月二二日に招集され、直接請求を受けた上田市立小学校設置条例の一部改正案が審議されたが、賛成少数で否決された(疎乙第二号証ノ一参照)。

(四) 以上の経過で明らかな如く、上田市、上田市議会、被申立人の措置は、住民の意思を尊重した民主的手続に則つており、憲法、地方自治法、教育関係法規およびその精神に照らし、遺憾な点はない。

2 本件就学指定変更処分により申立人らが回復の困難な損害を蒙ることはない。

(一) 学校の統合は、全国的な趨勢であり、文部省も統合の意義を教育効果の向上におき、適正規模としては、小学校の場合、学校教育法施行規則第一七条に基づき、一二学級乃至一八学級として、学校統合を積極的に奨励してきている。

本件統合も、学習効果向上の為の学校統合である(疎乙第二号証ノ五参照)。

従つて、川西小学校の場合、教職員の人的条件の点でも、校舎等の物的条件の点でも、教育内容の点でも、旧小学校に比し、はるかに好い条件がととのうことは明らかである。

(二) 川西小学校への通学方法については、徒歩によるほかバス通学が認められ、通学費についても上田市が補助することになつている。

また、川西小学校への通学の安全性確保については、被申立人は、和合橋に歩行者用側道を設けること、横断歩道及び道路整備、バス停の増設及び車両の確保、危険箇所における防護施設の設置を挙げ、努力を約しているものである。(疎乙第二号証ノ四・疎乙第五号証参照)。

(三) 学校統合による利点は多くあり(疎乙第二号証参照)、申立人らが回復の困難な損害を蒙るとは到底考えられないのである。

以上

別紙六

一、旧小学校の廃止処分ならびに新小学校への就学指定処分に関する権限、行政処分性についての被申立人の見解は、意見書に記載したとおりであり、被申立人の見解が正当である。

いずれの行政機関がいかなる権限を有するかという問題は、申立人らのいう「社会の生きた事実の経過」とは別個の問題であり、右の点に関する申立人らの誤解が、本件の相手方を誤まらせる原因になっていると思われる。

二、旧小学校の廃止、川西小学校への統合は、社会情勢の変動に伴う人口の移動を背景に、児童に対する学校教育の効果をより挙げるためになされることであり、その理由の合理性、手続の正当性は、意見書およびこれまでの立証で十分疎明されているところである。

既に、主張済みのことではあるが、被申立人は、通学区審議会からの答申を得たうえで、さらに、地元の住民またはその代表者への説明、説得を経た後に、上田市民を代表する上田市議会の議決の結果を遂行しているのである。民主政治の根源の一つに多数決の原理が存することは、いうまでもないことであるが、十分なる手続上、事実上の諸行為の積みかさねのうえに成立した多数の意思決定を、少数者が自らの要求が通らないからといって否定し続けることは、許さるべきことではない。

三、旧小学校の廃止により、本件児童は、旧小学校において従来どおりの教育を受けることはできなくなるが、このことは、当然のことながら、教育を受ける機会を一切奪われるというものではない。

本件児童は、川西小学校において教育を受けるのであり、しかも、川西小学校における教育内容は、旧小学校のそれと比較して、同等以上のものということができるのである。

旧小学校において教育をうけられないことによる損害、不利益は、被申立人の配慮によって、いずれも代替あるいは補完し得るものである。

従って、申立人らのいう回復困難の損害は本質的なものではない、といい得るのである。

四、長野県内に、一学年一学級で合計六学級以下の小学校が約九〇校存在していることは事実であるが、その七〇パーセント以上が、長野県が山岳県であるという地理的条件のために、統合したくとも統合できない、というのが真実の姿である。

被申立人は、最も教育効果が挙がる適正規模の学校を目指しているのであり、その姿に誤まりはない。

以上

別紙七

一、被申立人は、既に、主張済みのとおり、旧小学校の廃止処分は、条例の制定・公布のみによって完結し、発効するものである(疎乙第三・四号証参照)、と理解する。

従って、被申立人が、昭和六三年一月八日付で長野県教育委員会に対し、旧小学校の廃止届を提出していることは(疎乙第一号証参照)、学校教育法施行令第二五条に基づくものではあるが(疎乙第七号証参照)、報告的なものであり、廃止処分の効力とは無関係のことである。

二、学校教育法施行令第五条第一・二項によると、市町村の教育委員会は、その保護者に対し、就学予定者の入学期日、就学すべき学校を指定することになっている(疎乙第八号証参照)。

ところで、民法第八一八条第三項によれば、親権は、父母の婚姻中は、父母が共同してこれを行うことになつているので、父母が離婚、死亡などの理由により欠けていない場合には、父母が保護者となるのが通常である。

しかし、このことは、必ずしも常に父母の共同名義を要するというわけではない(注釈民法第二三巻二三頁参照)。

被申立人の場合、就学指定変更の通知は、片親の名前のみで発するのが例となっているが、そのことは、右のとおり、許されることであり、その効力には何の影響を及ぼすものではないのである。

三、上田市と川西村との合併協議書のなかに、文教について、申立人ら主張のとおりの合意があることについては争いはない(疎乙第二号証ノ二参照)。

しかし、このことは、通学区域を不変とするものではない。

すなわち、行政実例の解釈として、財産処分についての協議を合併後において変更することはできず、その旨の議決は無効であるが、その他の条件については、法律上の効果を伴わないから有効無効の問題は生じないが、一旦なされた合併の条件はみだりに変更されるべきものではない、とされている(疎乙第九号証ノ二参照)。

上田市当局は、昭和六二年五月二九日、上小地方事務所を通して、右の件につき長野県庁に対し照会したところ、同年六月二日、右と同一の回答がなされている(疎乙第九号証ノ一参照)。

ところで、本件統廃合が「みだり」になされたものでないことは、これまでの主張、立証によって十分明らかなことである。

さらに、室賀地区のうち、下室賀自治会、ひばりケ丘自治会からは、本件統廃合につき、昭和六一年一二月八日、賛成の回答がなされたのであるが、さらに、昭和六三年三月一八日付で、両自治会長名で、要望書と題する書面が、被申立人宛に提出され、既定方針の遂行につき強い要望がなされているのである(疎乙第一〇・一一号証参照)。

四、上室賀地区から川西小学校へのバス通学については、現在、被申立人が、千曲バス株式会社上田支社と協議中であり、何の心配もない。

右同社は、現在、上室賀発の定期バスを運行中であるが、上室賀地区から川西小学校へのバス通学にそなえ、増発便の運行を計画中であり、その発着時刻等も停留所での混乱を防止すべく慎重に考慮しているものである。

以上

別紙八

被申立人代理人

一、上田市川西小学校の設置に必要な諸施設については、現在工事進行中であって、開校日までには一応完了する予定である。

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